第7話 夜の恐怖



「れ、レイル……早く帰ろう? でないと僕達も危ないよ」
リーフは慌て気味にレイルの服の裾を引っ張る。
しかしレイルは答えない。その場に立ち尽くし石のように硬直している。
恐怖で足がすくんで動けない、というわけではないことを、彼の真剣な表情が物語っている。
「……レイル、どうしたの?」
「なあ、リーフ。お前は『蒼の殺人鬼』ってどんな奴だと思う?」
慌てるリーフとは対照的に、落ち着いた声でレイルは訊ねる。
「そりゃもう……とんでもなく凶暴で残忍な奴なんじゃないかな。『殺人鬼』って呼ばれてるくらいだし……」

それを聞いたレイルは、黙って何かを考えるような仕草をする。
彼が何か言うのをリーフは待っていたが、その時間がとても長く感じられた。
少しでも早くこの場を離れたいという気持ちが、そうさせていたのだろう。
「確かに『殺人鬼』なんて呼び名があるのは、酷いことをしてきたからなのかもしれない。
だけど、僕もリーフも実際にそいつに会ったことは一度もないわけだろ?」
「それはそうだけど……。でも、どうして?」

レイルが何を言いたいのかリーフには分からなかった。
キラーや『蒼の殺人鬼』については今日初めてヒュエナから聞いたばかりだ。
会ったことない、なんて当然のこと。それ以前に、リーフは会いたいなどとは思いもしなかったのだが。
「噂話や、誰かから聞かされたことだけで判断するのは嫌なんだよ。それが真実なのかどうか、僕は自分の目で確かめたいんだ」

それを聞いた瞬間、リーフはぎょっとしてレイルの顔を見た。
「れ、レイル……もしかして、森の中にそいつを見に行くっていうんじゃ……」
怪訝そうに聞くリーフ。だが、レイルは黙ったまま何も答えなかった。
数秒の沈黙が流れる。それが何を示したのか、レイルとは長い付き合いであるリーフには十分分かっていた。
何より、その有無を言わさないような彼の表情がそれを示していた。
「そいつが酷いことをしたのも、キラーのリーダー……つまりは人間のせいだ。自ら望んで『殺人鬼』になったわけじゃないと思うんだ」
「で、でもさ! もしそうじゃなかったら……最初から残忍な奴だったらどうするの?」
レイルの言うことも分からないでもなかった。リーダーから命令されてやったことならば、本人の意思とは違ってくる。
本当は『蒼の殺人鬼』は危険ではないのでないか、という彼の考えだった。
だから、レイルは自分の目で確かめたいと思ったのだろう。

しかし、いくらレイルの言うことでも今度ばかりはリーフも簡単に妥協するわけにはいかなかった。
もし、レイルの予想が外れていて『蒼の殺人鬼』がその名の通りの奴だったら、下手をすれば命を失うことになってしまうだろう。
「……キラーのリーダーは捕まるときに『蒼の殺人鬼』を逃がしたって、ヒュエナさんは言ってたよね?」
「うん、確かにそう言ってたけど……」
「その時から今まで、そいつはずっとキラーのリーダーと離れてた……つまり、誰にも命令されない自由の身だったわけだよ。
もし『蒼の殺人鬼』が本当に凶悪な奴だったら、どこかで事件を起こしていてもおかしくないだろ?」
「あ、そうか! でも、ヒュエナさんはそんな事件は全く起こらなかったって……」

自分で言ってリーフは気がついた。自由の身であった『蒼の殺人鬼』が一度も事件を起こしていないということに。
もしかすると彼の心の中にも、レイルと同じ考えが浮かんでいたのかも知れない。
「まだ心配か?」
「分かったよ……レイルを信じる。でも、もし危なくなったら……頼むよ?」
まかせてくれ、とでも言うように、レイルは大きく頷いた。
彼のポケットにはモンスターボールが入っている。リーフはほとんどの場合外に出ているので、あまり使う機会がなかったのだが、いざというときはこれで彼を守ることが出来るだろう。
信じてくれるパートナーを裏切るわけにはいかない。
レイルは自分の心の中で決意を固めると、森の中へゆっくりと足を踏み入れた。




森の中。
木々が陰になっていて、外からの光が届きにくく、暗かった。
だが、空から差し込む月明かりが、足元を照らしてくれるおかげで、ある程度は進みやすい。
(そういえば、夜は晴れるって、天気予報で言ってたっけ)
興味なく聞いていた予報だったが、今はそれが当たっていたことに嬉しさを感じていた。
光が届かなければ、森を歩くことも出来なかっただろう。
「リーフ、何か気配を感じないか?」
辺りの気配を感じ取る力は、人間より強いであろうリーフ。
レイルは自分の後ろについてきている彼に訊ねた。
「……分からない。でも、森が不気味なくらいに静まりかえってるのは確かだよ」
草を掻き分けて進む中、行く手を阻むものは森の植物以外何もなかった。
本来なら、野生のポケモンと出くわしてもおかしくないはずだが。
「ん、向こうに開けた土地が見える……行ってみよう」
レイルの指差す方向に、仄かな明かりが見えた。
光を遮る木がない、つまり開けた土地になっていることが分かる。
リーフは黙って彼の後に続いた。心の中の不安と戦いながら。




その場所は、森の中とは言えないほどの広さがあった。
短い草が広がっており、端から端までは五メートルほどの大きさだろう。
「ここは……月明かりのせいか。かなり明るいな」
光が直接差し込んでいるためか、その場所は自分の影がくっきり映るほど明るかった。
レイルもリーフも、お互いの顔をはっきりと見ることが出来た。

だが、光はすべてを照らしだしているわけではない。
遮るものがあれば光は遮断され、そこは影に包まれてしまう。
自分達が気づいていない影があることを、レイルは知らなかった。

その、背後に忍び寄る影に気がついたのはリーフだった。
「れ、れ、レイル、う、後ろ!!」
震えるリーフの声。なぜ震えているのか、森の中の条件からして理由は一つ。


『恐怖』


たった二文字で表せる言葉だが、今はそれが自分達に重くのしかかってきている。
今どんな状況であるのか、その身に痛いほど伝わってきた。
レイルは自分の服の裾をつかんでいるリーフの手をぎゅっと握った。
そして、ゆっくりと後ろを振り返った……。


戻る                                                       >>第8話へ

 

inserted by FC2 system