第16話 居場所


「……どうした、ライン?」
突然口を開いた彼の顔を見ながら、ヒュエナが言った。
さっきはどこかぼんやりしていたので心配だったのだが、もう大丈夫そうだった。瞳がしっかりしている。
「ヴィムに、聞いておきたいことがあるんだ」
「何だ?」
今になって何を聞こうと言うのだろうか。
こちらの言葉は信じられないのではなかったのか。
ヴィムは探るような視線を、ラインに向けた。
「さっき君は、他のポケモンや人間を傷つけるつもりはないって言ってたよね?」
「……ああ」
ヴィムは些か辛そうに答えた。こちらを向いているラインの首筋の傷が目に入る。
それを見ていると、自分の古傷が疼くような気がした。バトルだったとはいえ、相手を傷つけてしまったのだ。言葉を守れなかったことが悔やまれる。

「その言葉、僕も信じたいと思うんだ」
ラインの静かで、それでいてはっきりとした声が、森の中に響いた。
ヴィムとは敵対する、討伐団だったライン。彼がヴィムを信じると言ったのだ。
レイル達はもちろんのこと、何よりもヒュエナが一番驚いていた。
「な、何を言い出すんだ、ライン!? お前の首筋にはしっかりと傷が……」
「……ヴィムは本当に戦いたくなかったんだよ。それは嘘じゃなかった。僕が無理矢理戦うようにし向けたんだ。
向かってくる相手から攻撃を受け続けるわけにはいかない。だから、ヴィムの攻撃は、いわゆる正当防衛だよ」
ラインの言葉に、動揺を隠せないヒュエナ。彼女が驚くのも無理はない。
今まで討伐団として、そしてその後も行動を共にしてきたパートナーだった。
そのラインが、キラーだったヴィムを信じようとしている。ヒュエナにしてみれば、信じてきた仲間に裏切られたような気分だったのだろう。

「ヴィムは僕に攻撃するとき、手加減したんじゃないか?」
「……なぜそう思う?」
「おかしいと思ったんだ。隙を突かれて攻撃された割には、痛みも出血も少なかったから。あのとき君に本気で攻撃されてたら、僕は死んでいたかもしれない……」
「手加減……だと?」
予想もしなかったラインの言葉。ヒュエナは無意識のうちに口に出していた。
ラインの首筋には、生々しく傷跡が残っている。残ってはいたが、ヴィムの爪の大きさや能力を考えると傷が浅いように思えた。
「確かに……私は本気ではなかった。命を犠牲にしあうような戦いはしたくなかったからな。
ラインが倒れていたのを見て、もし彼がこのまま目を覚まさなかったら……と思うと、例えようのない恐怖を感じたよ」
「…………」
ヒュエナは何も言うことが出来なかった。
今まで散々ヴィムを疑ってきた自分から見ても、さっきの彼の口調は疑いがたいものがある。
戦いを挑んだことさえ、本当に正しかったのかどうか自信がなくなってきていた。
「……ヒュエナさん、まだヴィムが言ったこと信じられない?」
「私は……」
ヒュエナは何かを言いかけたが、言葉が続かない。
声が震えているような気がした。明らかに困惑しているのが分かる。
「ヒュエナさん……ラインの言葉も信じられませんか?」
レイルもリーフに続く。
ヒュエナは視線を下に向けたままその場に立ちつくしていた。
本当に信じるべきか考えていたのだろうか。あるいは、まだ心のどこかで、ヴィムの言葉を疑っていたのだろうか。
何を想い、彼女が黙り込んでいたのかは、レイル達には分からなかった。

誰も喋らない、無言の時間が流れた。皆の間を、夜の風が通り抜けていく。
「……ヴィム」
顔を上げ、ヴィムの方を見つめるヒュエナ。
誰もが息をのんで次に来る言葉を待っていたことだろう。
「私も、ヴィムを信じよう……。ラインが今ここにいるのも、ヴィムの言葉が真実だったおかげだろうからな」
ヒュエナがヴィムの名を呼んだのは初めてだった。それは、彼女がヴィムを信じたということを暗示していたのかもしれない。
レイルはリーフと顔を会わせ、互いに微笑んだ。ヒュエナがヴィムを信じてくれたことが、何よりも嬉しかったのだ。
「……だが、ヴィムはこれからどうするのだ? どこか他に行くあてが……あるようには思えないが」
「ここの森にずっといるのは……だめですか?」
お互いにようやく分かり合えたのだ。このまま別れてしまうのは寂しかった。
「それでは……森のポケモン達が思う存分に活動できないのではないか? いくら事情を飲み込んだところで、どうしても消えない恐怖というものもあるだろう」
ヒュエナの言うことも最もだった。森にいるポケモン達と比べるとかなり大きい。
おまけに『蒼の殺人鬼』というレッテルを貼られてしまっている。いくら過去のこととはいえ、染みついた恐怖のイメージを取り去ることは難しいだろう。
「仕方のないことだ。それに、存在が疎まれるのは今に始まったことではない。今夜中にでも去るつもりだ」
まるで、自分は常に孤独と共にあるとでも言いたげなヴィムの口振りだった。レイルが最初に出会ったときも、一人でいることに慣れているような素振りを見せている。
だが、レイルには彼が寂しさを悟られないために、無理をしてそう振る舞っているように思えてならなかったのだ。

「なあ……ヴィム。よかったら僕の家に来ないか? 家の中だったら、他のポケモンにそこまで影響はないと思うんだ」
レイルが考えついた周囲のポケモン達に影響を与えない方法。それは、ヴィムと共に暮らすということを意味していた。
彼の言葉に一瞬驚いたリーフだったが、すぐに笑顔になると、同意するかのように頷いた。その笑顔は、きっと歓迎の意を表していたのだろう。
「レイル! それは……」
何かを言いかけたヒュエナ。だが、それに続く言葉が見つからない。
ヴィムの本心がはっきりと分かった以上、彼を拒否する理由はどこにもなかったのだ。
村で共に暮らすとなると、全く不安でないと言えば嘘になる。それでも、彼を追い出そうという気にはなれなかったのだ。
「いや……ここは私が口出しする所ではないな。これは、レイルとヴィムの問題だ。……ラインの傷の手当てがしたいから、私達は帰らせてもらうよ」
そう言ってヒュエナは、レイル達に背を向ける。そして、ラインを引き連れて森の外へと歩き出した。
少し進んだところで、彼女は立ち止まり、背を向けたままヴィムに言った。
「……ヴィム。ラインに攻撃するとき、手加減をしてくれたこと、感謝するぞ」
そう言い残すと、ヒュエナは再び歩き出す。やがてその背中は、夜の闇の中へと消えていった。

「ヴィム、どうかな? 僕と一緒に来てくれないか?」
レイルはもう一度、確認するように訊ねた。
ヴィムは無言で、レイルとリーフの顔を交互に見つめた。
「本気か……? 私の命を狙う者は少なくない。お前達に危険が及ばないとも言い切れないが……」
「それでも……ヴィムに一人で抱え込んで欲しくないんだ」
「それに、もし危険な目に遭ったとしても、僕らがヴィムを信じる気持ちは変わらないよ」
殺人鬼として恐れられるようになってから、ヴィムはずっと孤独を共にしていた。いつしか、それが当然のように自分の側にあるものだと感じるようにもなっていた。
誰かに受け入れてもらうことが、こんなにも嬉しいことだとは。ヴィムは、自分が長い間忘れていたものを思い出した気がした。
「ありがとう。ザルガスと別れて以来、私には帰る場所がなかった。……これからは、お前達の家が私の居場所だ。レイル、リーフ、よろしくな」
それは、ヴィムが彼らに初めて見せた笑顔だった。
避けられ、疎まれることの繰り返しで、いつの間にか嬉しさや喜びといった感情と一緒に、笑顔をどこかに置き忘れていたのかもしれない。本当に、心から笑ったのは久しぶりだった。
「こちらこそ、よろしく、ヴィム」
「よろしくね!」
レイルもリーフも、ヴィムに負けないような満面の笑みで答えた。


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