第31話 明かされる事実




俺は一つの病室にいた。その部屋には何人かの同僚もいた。緊急の呼び出しを受けたのだ。
そして、俺の視線の先には苦い表情で俺たちを睨んでいる、このポケモンセンターの院長がいた。
俺たちはベッドを囲むようにして立っている。もう患者のいない空のベッド。
白いシーツは洗濯され綺麗に整えられていたが、冷たさやもの悲しさが伝わってくる。
「……ここの患者は先日不自然な死を遂げた。ほとんど退院に近い状態だったにも関わらずだ」
院長の口調は重々しいものだった。告げられる内容は決して朗報ではない。
この部屋に呼び出されたときから、誰もが予感していたことだった。
「解剖の結果、患者の体内から本来あるべきでない薬品が検出されたそうだ。これがどういうことなのかは言わずとも分かるな?」
俺は何も答えなかった。院長本人も分かっているはずなのに、わざわざ聞いてくる。
回りくどいやり方だなとは思ったが口にはしない。他の奴も同じことを感じているらしく、誰も口を開こうとはしなかった。
「こちらのミスで、患者を死なせてしまったということだ」
「……それで、どうして俺たちがここに呼び出されたんです?」
まるで自分には関係ないことのように、同僚の一人が言った。どこか馬鹿にしたような口調だ。
「分からんか? ここの病棟はお前達の管轄だ。真っ先に疑いが向いてもおかしくはなかろう」
彼の態度に眉をひそめた院長だが、あくまで冷静に受け答えをする。いちいち腹を立てていては話が先に進まないからだろう。
「でも、この部屋の患者を担当していたのはロガじゃないですか。普通に考えれば一番疑わしいのは……」
名前が出た途端、冷たい視線がロガへと集中する。同僚の表情の変わりように、俺は寒気を覚えたほどだった。
「そうだったのか? すまないな、ここは私が管理している病棟ではないんでな。誰がどこの担当かまでは知らなかったぞ」
「まあでも、これで犯人の目星はついたも同然じゃないですかね?」
遠回しな言い方だ。これなら直接名指しをされた方がまだましだと思う。
ロガは俺の信頼できる友だった。このポケモンセンターに入ったときからのつき合いだ。
ちょっと頼りないところあったが、何事にも一生懸命で諦めない。いつも高い目標を持ち、それを達成するための努力を怠っていなかったのを俺は知っている。

ほんの些細なミスだった。本来患者に投与するはずの薬を、別のと間違えてしまったのだ。
患者は急変し集中治療室に運ばれたが、亡くなってしまった。俺はロガが薬を間違えたのを知っていたが、黙っていた。告げ口のような行為はしたくなかったし、俺の良心がそれを許さなかった。
「……それもそうだな。ロガ、どうなんだ?」
「僕は……」
ロガは黙って下を向いてしまった。堅く握られた拳が小刻みに震えている。
他の奴らは、言うなら今のうちなんじゃないのか、などの罵声を浴びせていた。
張りつめた空気。冷たい視線。震えるロガ。今にも泣き出しそうな表情をしていた。
俺はこれ以上、そんなロガを見ていられなかった。
「待ってください! 院長!」
沈黙を破り、俺の声が部屋に響く。同僚の視線が今度は俺に向けられた。
「何だ、ザルガス?」
院長の声を聞いて、俺はいつの間にか叫んでいたんだなと気がついた。
無意識のうちに体が動いてしまったのかも知れない。どちらにしても、もう後戻りはしたくなかった。
「俺が……俺がロガに薬を渡したんです」
ロガはハッとしたて俺の方に振り向く。口を開き、何かを言いかけたのだが言葉が出てこないみたいだった。
ありもしないことを俺が言ったので、驚いていたからなんだろうか。まるで幻でも見ているかのように、ぼんやりと俺を見ていた。
「ロガが薬を間違えてると勘違いして、俺が別の薬を渡したんです……ロガは悪くありません」
「……そうか」
短い言葉だったが、その中には鋭さがひしひしと伝わってきた。
その時のロガの表情や、他の同僚たちの冷たい目線。俺は今でもはっきりと覚えている。




その次の日、俺は院長の部屋に呼び出された。
机越しに院長の顔を見つめる。ああ、これは怒ってるなとすぐに分かる。気のせいかも知れないが、少しだけやせたようにも見えた。
今回の事件がこの病院に与えた影響はかなりのもので、それに対応する院長も苦労が絶えないんだろう。
「つまらないミスをしてくれたな。お前のせいでこのポケモンセンターの評判はがた落ちだ。どうしてくれる!」
「……すいません」
本当はやってもいないことで叱咤されている。どんな反応をすればいいのかよく分からないから、とりあえず俺は謝った。
だが、俺は院長の態度の変わりように驚いてもいた。院長からは割と信頼されていると思っていたからだ。俺に対する指示のときも、他の同僚へのそれと比べると少しだけ甘いような気がしていた。
それとも、全部俺の思いこみだったのだろうか。自信過剰だったかも知れないが、俺にとってはショックだった。
「お前には、今週限りでやめてもらう」
「!」
俺は一瞬、耳を疑った。
確かにそれなりの処分は覚悟していたが、まさか辞めさせられるとは夢にも思っていなかったことだ。
「ちょっと待ってください、院長! 俺は……」
このとき何を言おうとしたんだろうか。

本当はやってないんです。
ロガを庇っただけなんです。
あいつは俺の親友だから、見ていられなくて。

それを言ったところで、院長は俺がロガに罪をなすりつけようとしているようにしか聞こえないだろう。
「言い訳など聞きたくない! 一度大きなミスを犯した医者を、いつまでも置いて置くわけにはいかんのだ!」
結局、院長の声に遮られて、俺は言いかけた言葉を止めた。
院長の言っていることは正しい。ポケモンセンターは命を扱う仕事。信用が第一、そして一度失った信用は回復するのが困難だ。
返す言葉もなく、俺は黙って頷くしかなかった。



俺が病院にいられる最後の日になった。黙々と机の上の荷物をまとめていく。
何年勤めただろう。ここに入った当初のことを思い出すと、今日限りで辞めるという現実が嘘のように思えてくる。
俺も、ロガも、他の同僚もみんな若かったな。別の院に移った奴も何人かいたけど、今頃ちゃんとやってるのかな。
「よお、クビになったんだってな」
感傷に浸っていた所に割り込むかのように、声が聞こえてきた。
俺はちらりと横目でそいつを見る。同僚の一人が俺の傍らに立っていた。どことなく、笑みを浮かべているようにも見えた。
「……だから何だ?」
「残念だったよなあ。お前、院長にも気に入られてたのに」
嫌味を含んだ口調。その態度にやはり腹は立ったが、その同僚からは俺が院長に気に入られているように見えていたらしい。
本当は院長は俺のことをどう見ていたんだろうか。俺を辞めされるのは苦渋の決断だったのか、あるいは何の躊躇いもなく辞めさせたのか。どちらにしても、今となっては知るよしもないが。
「まあ、誰にでもミスはあるさ。そう気を落とすこともないだろ」
突然仕事を辞めさせられて、気を落とすなと言う方が無理な話だ。
鞄をこいつの顔に叩きつけてやろうかとも一瞬思ったが、そんなことをして後でとやかく言われるのもごめんだ。
「誰にでもミスはある……か。お前も俺の二の舞にならないように、せいぜい気をつけるんだな」
捨てぜりふとも取れるであろう皮肉を含んだ言葉を返すと、鞄を強く握りしめ、俺は早足でポケモンセンターを後にした。




俺は外に出ると、病院の裏口に回った。ロガに話があると言って呼び出しておいたのだ。
ロガはもう待っていたようだ。俺に気がつくと、顔をこちらに向けた。早足でそこに向かう。
「……なんだい、話って?」
ロガは無表情で俺を見た。何となく、俺はその表情に冷ややかなものを感じた。
「いや、俺さ……ここの仕事クビになっただろ? 正直まだ実感なくてさ、これからどうしたらいいのかも分からないんだ」
「そりゃあ……そうだろうね。僕もまさかあの程度のミスでクビするなんて思わなかったよ。院長も厳しいねえ」
まるで他人事の様な言い方だった。実際そうだったのかも知れないが、もうちょっと親身になって答えてくれてもいいんじゃないのか。
「なんか素っ気ないな……。どうかしたのか?」
ロガは相変わらず堅い表情のままだ。何が言いたいのか、何を思っているのかまるで分からない。
「何ともないよ。それより……ザルガスはこれからどうすればいいか、僕に方針を決めて欲しいのか?」
「別にそこまでしてもらいたいわけじゃない……」
俺は少し変だなと思い始めた。あたかも他人に対するような態度のロガ。
どうしたらいいのかを他人に聞いても仕方ない。俺の人生を決めるのは俺だ。
ただ俺は、ロガのちょっとした感謝の言葉と、ちょっとした励ましの言葉が欲しかっただけだ。
もしその時ロガが、俺の期待していたとおりの感謝と励ましで背中を押していてくれてたら、俺はきっと前に進めたと思う。

だが、ロガの返事は冷たいものだった。
「ザルガスがこれからどうすればいいかなんて、僕には分からない。これ以上この事について話すつもりだったら、僕は帰るよ? まだ片づけないといけない仕事があるんだ」
俺との話よりも仕事を優先させたいのか。俺は早足で去ろうとしたロガの腕をつかんだ。
「おい、何だよその言い方は。もし俺がいなかったら、お前が俺の立場だったんだぞ?」
徐々に声が険しくなる。恩に着せるような言い方になってしまったが、俺はどうしてもロガと話がしたかったのだ。
「確かに、ザルガスがいなかったら僕はポケモンセンターを辞めさせられていただろうね」
「だったら、少しくらい話を聞いてくれたっていいだろ? 俺はお前を庇って……」
「庇った? 僕がいつ君に庇ってくれと頼んだ? 助けてくれと頼んだか? 全部君が勝手にやったことだ!」
「な……何だと」
思わず俺は声を失ってしまう。ロガの言葉が俺には信じられなかった。
俺はあのとき無意識のうちにロガを庇った。一言も頼まれてはなかったのは確かだ。
頭の中でいろいろ考えていたわけじゃない。ただ、皆から責められるロガを見ていられなかったから、それだけだったのだ。

どうしようもない脱力感が俺を襲う。つかんでいたロガの腕も、いつの間にか離していた。
「馬鹿だよ、君は。黙っていればいいのに、わざわざ自分を不利な立場に追い込むような真似をして……」
「おいロガ……言っていいことと悪いことがあるぞ! お前を庇ったばっかりに医者の仕事を失った俺はどうなる!」
蔑むような口調に、俺は思わずロガの胸ぐらをつかんでいた。
怒りをあらわにした俺に怯むこともなく、ロガは冷たい視線を俺に向けた。あのときに見た他の同僚と同じような視線を。
「後悔したって後の祭りさ。今更本当のことを言ったって、誰も信じないだろうからね」
「ロガ……俺たちの信頼って、その程度のものだったのか……?」
「君が僕を庇う前までは、確かにそれはあったよ。でも、あの瞬間に僕は思ったんだ、これは自分を守るチャンスだ……ってね。わざわざ罪を被ってくれる人が出てきたんだ、それを無駄にはしたくないだろ?
僕はまだまだ医者として上り詰めたいんだ。こんなくだらないミスで医者の人生棒に振るなんてごめんだ。でも、僕が上に進む中で踏み台となって消えていったザルガスのことは決して忘れないよ」
今度ばかりは自分の理性を抑えられなかった。
気がついたときには、俺はロガの頬を殴り飛ばしていた。
バキッと鈍い音がして、ロガは倒れ込む。だが、すぐに起きあがると俺を睨み付けた。見下すような瞳だった。
「僕を殴ったところで今の状況は変わりはしない。もう会うこともないだろうから、これだけは言っておくよ。僕の身代わりになってくれて……ありがとう、ザルガス」
俺が期待していた感謝の言葉。ロガから告げられたことは確かだ。
だが、それには何の暖かみもなく、それでいて一番冷徹さが込められていた。
ロガは薄笑いを浮かべながら、その場を立ち去っていった。一度たりとも振り返らなかった。

俺はまるで体が凍り付いたかのように、動けなかった。もし、誰かに触れられれば粉々に砕けてしまっていたかもしれない。
今までに積み上げてきたもの、信じていたものがガラガラと音を立てて崩れていったような気がした。
そして、そのがれきの中からは抜け出すことは出来ない。必死にもがいても、出口は見えない。果てしない闇が俺を包み込んでいく。



身代わり? 踏み台? 庇ってくれなんて頼んでない?


俺は……あんな奴を信頼していたのか?


あんな奴のために俺は職を失ったのか?




『わざわざ罪を被ってくれる人が出てきたんだ、それを無駄にはしたくないだろ?』




そうか……結局は自分が一番大事なんだ。


立場が悪くなると、平気で他人を裏切るんだな……。




何だ。


人間なんてそんなもんか。


そんな人間を本気で信じていた俺は……何だ?





くだらねえ……。



くだらねえよ……何もかも。






消えろ。



消えろ!



何もかも消えてしまええエエエエェェェェェェ!









俺はそのときほど、憎しみの衝動に駆られたことはなかった……。


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