第32話 伝えたかったこと




「その次の日に俺は滝の洞窟に行き、ヴィムと交渉した。強力なポケモンがいれば、何かと便利だと思ったからだ」
ザルガスはヴィムを見ながら言った。
ふとヴィムは、滝の洞窟で会ったときのザルガスの目を思い出す。
彼は強く歪んだ光を瞳に湛えていた。意志は非常に強かったが、尋常ではなかっただろう。
今は、憑き物が落ちたかのように穏やかな目をしている。覇気がなく、ただぼんやりとしているだけのようにも見受けられるが。
「……お前が世の中を憎んでいた理由は分かった」
内容は決して穏やかでない話を聞いた後でも、ヴィムは落ち着いていた。
予想だにしなかった壮絶な内容に、半ば恐怖すら感じていたレイルやリーフにとっては、その反応が不気味にも思えた。
「そんなのって……」
レイルは何かを言いかけたが、言葉が続かなかった。
信じていた友に裏切られ、その職を失った。彼の怒りや悲しみは計り知れなかったことも分かる。
自分の中でザルガスが本当に悪だったのかどうかもあやふやになっていた。
「ロガという男……確かお前が最初に殺した男ではなかったか?」
「ああ、そうだ。ヴィムに少しだけ手伝ってもらって……とどめを刺したのは俺だった」
「……殺した?」
リーフがおそるおそる訊ねる。これはいわゆる恐い物見たさというやつだろうか。
あるいは、普段聞くことのないようなインパクトの強い言葉に反応していたのかも知れない。
「憎しみや怒りだけが、俺を突き動かしていた。どんな手を使っても必ず殺してやると思っていた。なんの躊躇いもなかったよ。……だけどな、ロガを殺してから気がついたんだ。俺の失ったものは何一つ戻っちゃいないってね」
今のザルガスの雰囲気からは想像もつかない。語られている内容と相反して、ひどく不釣り合いにも思えた。
「ロガを殺したところで、俺の感情はおさまらなかった。何一つ元通りにならなかったことで、さらに負の感情を増幅させる結果となってしまった。……それから後は、もう俺が怒りをぶつけられるのならば、誰であろうとかまわなかったんだよ」
ザルガスは一度目を閉じると、大きく息をついた。
皆じっと、彼の話に聞き入っている。ため息の音が妙に大きく部屋に響いた。
「今になって思えば、本当に愚かなことだったよ。何の罪もない人たちを巻き込んで……傷つけて……。結局俺は、何がやりたかったんだろうな」
ザルガスは口元に微かな笑みを浮かべた。自分を自嘲するような、悲しい笑みだった。
「……自分の過ちに気がついたとき、あなたは何を思った?」
ふいにレイルがザルガスに訊ねた。
ザルガスは一瞬だけ暗い表情を見せたが、すぐにレイルの方を向いて言う。
「自分を責めたよ。俺は何てことをしてしまったんだ、どれだけの人を悲しませて来たんだ……ってね。何を今更、と非難されるのは目に見えてる。それでも、そう思わずにはいられなかったんだ」
手で目を覆うようにして、ザルガスは告げた。わずかながら、声が震えているようにも思えた。
「……よかったよ」
「よかったって……どういうこと、レイル?」
レイルの一言が疑問を感じたリーフが首を傾げた。
「自分のした間違いに気づいて、悔いる気持ちがあるのなら、それがどんなに大きくてもやり直せると思うから。これは勝手な憶測だけど、ザルガスさんはきっとやり直せると、僕は思う」
以前、セリアに訊ねたことがあった。罪を犯した人は、たとえ後悔していても絶対に許されることはないか、と。
姉の返答の引用だった。だが、ヴィムと同じような罪を犯したザルガスにも同様な事が言えるのではないか。そう思ったレイルは、自分の考えも含めてザルガスに伝えたのだ。

レイルの言葉を聞いたザルガスはしばらく無表情でレイルの顔をを見ていたが、やがて微笑むと、
「ありがとよ……」
小さな声でそう言ったのをレイルは聞いた。
そんなザルガスを黙ったまま、じっと見つめていたヴィムが口を開く。
「ザルガス。いつかお前に言わなければと思っていたことがある、聞いてくれるか?」
そのとき、レイルは何故かヴィムの口調が普段と違っているような気がした。
いつもなら淡々とした抑揚のない調子で話すのだが、今は気持ちがこもっていて、とても相手に伝えたいという意志が伝わってきた。聞き慣れない声の調子に、違和感を覚えたほどだった。
「……俺に言いたいこと、だと?」
ヴィムは黙って頷く。
「何とでも言うがいいさ。心の中で俺を憎んでたんなら、遠慮なく言葉をぶつけてくれ。そう言うのには、もう慣れたからな」
ザルガスは苦笑する。その表情を見せるのは、もう何度目になるだろうか。
「ヴィムが俺を憎んでいたとしても、俺はおかしいとは思わない。あのとき俺がヴィムを誘ったりしなければ、お前は殺人鬼として恐れられるようなこともなく、恨みを買って命を狙われることもなく、普通に生きていくことができたはずだからな……」
ヴィムは何も答えない。ザルガスの言うように、非難の言葉を浴びせるつもりなのだろうか。
レイルにはそうは思えなかったし、ヴィムがそんなことのためにわざわざここまで来たがっていただなんて、思いたくもなかった。


『ありがとう』


一瞬、時が止まったかのような沈黙が流れた。
レイルもリーフも、それてザルガスまでもが、目を丸くしてヴィムの方を見る。
「ありがとう、ザルガス」
「……な、何を?」
何とか口の中から言葉を絞り出しているといったザルガス。
「お前があのとき私に話を持ちかけてくれなければ、私は今もあの洞窟の中で過ごしていただろう。外の世界を知ることもなく、誰とも出会うこともなく……。だから、私はザルガスに感謝しているよ」
ザルガスはぽかんと口を開けたまま動かない。そんな彼の様子を気にすることもなく、ヴィムは続ける。
「外の世界を知れたおかげで私は、素晴らしい出会い――――彼らと出会うことも出来た」
ヴィムはレイルとリーフの方に目をやる。ヴィムと視線の合ったレイルは、小さく微笑んだ。
素晴らしい出会いだと感じていたのはヴィムだけではない、レイルもリーフも同じように感じていたことだろう。
「な、何寝ぼけたこと言ってんだ、お前を散々巻き込んできた俺だぜ? なのに……ありがとう、だと?」
「私は巻き込まれただなんて思ったことは一度もないよ。私は、私を必要としてくれる誰かを求めていたのかもしれない。そして、お前は私の心の支えとなってくれていたんだ。一緒にいたときは気がつかなかったが、お前と離れてみて残ったのはただ空虚な現実だった。それらのことも含めて、感謝しているよ」
ヴィムは真っ直ぐにザルガスを見つめ、答えた。
ザルガスはがっくりとうなだれると、両手に額を当て呟くような声を漏らした。
「……ははっ、はははは。俺に感謝している? はは、ははははは」
狂ったように笑うザルガス。肩が小刻みに震えている。だが、その目には光るものが見えた。
「泣いて……いるのか?」
「ははっ……泣いてなんかねえよ……」
口では否定したザルガスだが、目から流れるものは止まらず手の甲までも流れ落ちた。
「どうやら……俺の馬鹿がヴィムにまでうつったらしいな。困ったもんだぜ、は……はははは」
ザルガスは笑うのをやめなかった。力無い声で笑い続ける。
涙を流しながらもなお笑い続ける光景は、奇妙なものにも思えた。
「お前と私のしてきた行為は、確かに許されるものではないだろう。だが、それらを全て含めて……ザルガスと一緒に過ごした日々は、忘れないよ」
先ほど、話を切りだしたときと同じような優しい声でヴィムは言った。
自分の行いを否定し続けるザルガスを、全て受け入れるかのように。
「……ヴィム、俺もお前と会えて……ほんとによかった。……ありがとな」
小さな声だったが、それはしっかりとヴィムの耳に届いていた。
ヴィムは目を閉じるとふっと微笑む。討伐団に追われ、別れたあのときからずっと想い続けてきたこと。
それを全て伝えることが出来た喜びを、心の中で噛みしめていた。まるで、ずっと目の前に掛かっていた靄がすっきりと晴れたかのような爽やかな気分だった。

そんな静寂の中、突如無機質な音が響く。
ザルガスの側のドアをノックする音が聞こえてきたのだ。
「そろそろ時間だが……どうだ、話の方は?」
「す、すいません。もう少しだけ待ってください!」
レイルは慌てて答える。今入ってこられたら間違いなく面倒なことになるだろう。
「……あと少しだけだぞ?」
物わかりのいい人だったのか、ドアを開けて入ってくるようなことはなかった。
レイルはひとまずホッと胸をなで下ろす。
「……時間、か。レイル、リーフ、こうやってヴィムともう一度会えたのはお前達のおかげだ。本当に……ありがとな」
ザルガスは涙を拭うと、笑顔で言った。もうさっきまで見せていた、悲しい自嘲を含んだ笑みではなかった。
「僕も、あなたと話が出来て良かったです」
レイルも微笑みながら返事をする。リーフは何も言わなかったが、大きく頷いた。
「じゃあ、さよならだな、ヴィム。もう伝えるべきことは全部話したし……思い残すことはない」
「いつ死んでもいいみたいな言い方はやめてくれ。お互いに気持ちを伝えたんだ。会えなくとも、心で繋がっていれば……問題はないさ」
「……そうだな」
ザルガスは立ち上がってくるりと向きを変えると、ドアのノブに手を掛けた。
レイルはすかさずモンスターボールと出すと、ヴィムを戻す。
「――――――してくれ」
その瞬間、ヴィムが小声で何かを言ったことにレイルは気がついた。
どういうことなんだろうかと考える間もなく、ドアが開く。
「……行くぞ」
「ああ」
ザルガスは案内役の男に連れて行かれた。部屋の中にはレイルとリーフだけが残る。
「……戻ろうか」
「うん」
椅子から立ち上がると、レイル達は部屋を後にした。

外に出ると、反対側から案内役の男が歩いてきた。
ザルガスを連れて行った後だろうか。急いで戻ってきたらしく、少し荒い息をしている。
「待たせたかい?」
「そんなことないですよ」
「そうか、それじゃあ出口まで案内するよ」
そう言って男は歩き出す。歩き慣れた、早足の足音が辺りに響いた。
来るときもどこをどう通って来たかなんて覚えていない。見失わないように、しっかりとその後に続いた。




再び刑務所の門をくぐる。だがその足取りは、来たときよりもはるかに軽いものだった。
降りそそぐ太陽の光に、思わずレイルは目を細めた。刑務所の中での時間はそんなに長くなかったはずだが、日の光が随分と懐かしく思えた。
「やっぱり、外の方がいいや」
「いた場所が場所だからな……。僕も同感だね」
レイルは軽くのびをすると、ふうと息をつく。何だか肩の荷が下りたような、晴れやかな気分だ。
「リーフ、ちょっと一緒に来てくれるか?」
「いいけど、どこに?」
「とりあえず……この刑務所が見えなくなるくらいまでかな」
そう言ってレイルは歩き出した。向かっている方向は、ラゾンとは逆方向だ。
いったいどこに行くんだろうかと思いつつも、リーフはその後に続く。

「……ここら辺までくれば、大丈夫かな」
歩き続けて数分。もう刑務所はほとんど見えない。辺りには開けた草原が広がっているだけだった。
「ここに何かあるの、レイル?」
「いや……実は刑務所でヴィムをボールに戻す瞬間にボールから出してくれって言われたんだ。まあ、はっきりとは聞こえなかったけど、そんな感じの内容だった」
今まで人目に付かないように気を配りながらやってきた。それなのに、こんな昼日中に出してくれとはどういうつもりなんだろうか。
レイルもリーフも、多少なりともそんな疑問を抱いていたことだろう。
「いきなり刑務所の真ん前で出すわけには行かないから、ちょっと離れたんだ」
「でもどうしてかな?」
「さあね。本人に聞いてみないと」
レイルは鞄からボールを取り出すと、高く放り投げた。
オレンジ色の光が形を作り出し、ヴィムが翼を羽ばたかせながら空に現れた。

青空を背景にヴィムを見るのは初めてのことだった。体の色が空の色にとけ込んで、それでいて存在を誇示するかのような、紅の翼がはためいている。力強い姿だった。
やがて、レイル達の前にゆっくりと舞い降りた。
「……ヴィム、どうして出してくれって?」
「私の心の靄は晴れた。これからは、太陽の下でも堂々としていたいんだ」
「そうか……でも、大丈夫なのか? まだヴィムを狙っている輩はいるとか聞いたけど……」
「大丈夫だ。……私もいいかげん、影から抜け出して光を拝まないとな」
レイルはその言葉を聞いて、思わず笑顔になった。ヴィムが前向きな考えをしてくれたことが、何よりも嬉しかったのだ。
「そうか、じゃあ……行こうか」
レイルはヴィムの首に手を掛けると、身軽に背中へと跨った。
「リーフはどうする……って、聞くまでもないか?」
「もちろん、遠慮しとくよ」
レイルはボールを取り出し、リーフを戻す。
そして、ヴィムの首にしっかりとつかまった。
「よし、リスタへ戻ろう!」
その元気良いかけ声とともに、ヴィムは翼に力を込め、地面を蹴った。


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