「三つ首……ですか。」 「俺にも信じられなかったが、あの有様には何か……それじゃなくとも、冗談の通じる相手じゃなさそうだってぇ事だけは確かだ。」 下層領域の森の中、森の木と木の合間に幾重も絡まった雲の巣を、ターザンのような態勢で伝っていくアリアドスとラグラージ。 通常、蜘蛛の群れの進行ルートに張り巡らせたこの糸の巣であるが、こうした緊急時には、陸上を歩く者がこれを伝う事も可能であるように、糸は柔軟に張られている。 器用に木の幹を避けていくラグラージの背には、先程運び出したネイティが、未だ目覚めぬ眠りの中にある。 戦闘と消火活動と、これまでにない運動の後であるにも関わらず、ラグラージは未だこの状況に怯んではいなかった。 だが気付かずとも、何かしらの焦りはあったのかもしれない。 「ノクタス君の証言が確かなものだとすると、私達も対処の方法くらいは調べておいた方が良いのかもしれませんね。とは言え、判らない事だらけですが。」 「人化の秘宝とやらを持ちこんだヤツに聞いてみりゃ、何か判るかもしれねえな。」 ロックが明かした情報は、それ程に常識外れなものであったのだから。 ・ 数時前、遠くの山から朝日が見えていた頃。 「ジグザグマの森に立ち入った後、私は彼等から、その森に伝わる伝承の話を聞かされた。」 「ジグザグマと言えば、南方の森一帯の縄張りの事でしょうか。」 「さぁてな。なんせあの辺りの区域は特別事情が無い限り、進入が禁止されているんだからな。」 言って、ラグラージは周囲に目をやる。 するとネイティを囲んでいる仲間の何人かが、額に汗を垂らしつつ、此方の話に警戒を表しているのが見て取れた。 近頃南の森の方へ、中級ポケモンの群れが違法偵察に当っているとの報告を耳にしたラグラージは、 「お前等も、勿論知っているんだろうな?」 と、嫌味ったらしくその確信を突いた。 「前に出な。」 「……へ、へい。」 進入したと思われる何人かが、言われたその後で目配せしていたらしい者を、的確に指して呼びつけるラグラージ。 腰の低い、頭に炎のような威嚇部位の見られる者が前に出た。 「不眠持ちか。進入に当ったのは夜中か?」 「と……とんでもねぇです。視界が真っ暗で、とても俺の足じゃ歩けたもんじゃありませんよ。そりゃもう甚振る連中のごろごろいる昼間っから堂々と……。」 「今ここで同じ事をしてやろうか。」 「ひっ……ひぃっ!すぃやせんすぃやせん!いや……だってあの連中、境界線から先の木の実は、たとえこっちの木から伸びていた枝だとしても、自分達のモンだって騒いで……。」 「確かに、奴等は名前通り曲った連中だが、だからと言って手前も、名前の通りの妙なやる気になって良いって訳じゃねぇぞ。」 「もう判りやしたよ。に……兄さんも名の通り、心の大きそうな方ですね。」 「お?そう思うか。うはは、お前もなかなか、見所のある奴じゃねえか。」 他愛も無い会話が続いている。 ラグラージもこの近隣を訪れるのは久々の事で、アリアドスの方からは、どうやら彼は楽しんでいるように見えた。 「ラグラージさん。久しぶりの下層を懐かしむのも宜しいのですが……。」 「わぁってるよ。で、お前。その時に何か、変わった事は無かったのか?」 「……いや、情報の横流しにもなるし、それちょっとマズくないですか?」 「相応に役立つ情報だったら、そいつで手前の件はチャラにしてやるよ。俺も面倒は好かん。」 「あ、ありがとうございやすっ!ええと、そうですね……。」 手を頭上に当てた少し考えるような仕草の後、何かに気付いたように切り出した。 「そういや、あいつら妙な事言ってましたよ。」 「妙な事?」 「ええ、俺はてっきり木の実の事を言ってやがったと思ってたんですけど『宝を返せ、我等の神様が怒ってる』って。」 「……神様、か。何か聞いてないか、ロック。」 「俺が頼まれたのは、人化の秘法の事についての事だけだからな。そもそも、その秘法事態がどんな形なのかすら教えてくれなかった所を見ると、あんまり信用はされてなかったみてぇだからな……だが。」 「ん?」 苦い顔のロック。目を虚空にやり、顎に手を当てて続ける。 「アリエッタに関しては、あいつ等も特別に心を許していた。彼女が今奥に向かっているのだとすれば、その秘法を取り返しに行っているのかもしれないな。」 「またあの嬢ちゃんか……。全く、手間のかかる嬢ちゃんだぜ。」 「優しい方でしたよ。相当な実力の持ち主だと思われます。」 「俺もそう思うぜ。掴み所が無くて、一番敵に回したくねぇタイプだ。」 ・ 揉め事もあったものの、結果的に、機動力、戦闘力ともに充実しているアリアドスとラグラージの班がアリエッタを追い、ロックは森の外部遠方で待機という形となった。 「あの場は、彼の実力を尊重するべきであったように思えますけどね。」 「……ふむ、別に人間がどうこうの話じゃねえが、お前からそんな台詞が聞けるとは思ってもみなかったな。」 アリアドスは発令された命令に真っ先に応えた者の一人であり、それはなにより、彼が人間にあまり良い感情を持ってはいないという証拠でもあったばかりか、ラグラージはこの森に介入してきた時から彼の事を知っているので、その変貌ぶりに驚いているという訳である。 なにせラグラージと違い、彼は元々、この森を生まれとする者の一人であるのだから。 「……決断とは、あまり関係の無い事でしたが、妙な噂を耳にしましてね。」 「噂?」 「ダーテング様が、外部からの介入者であるという話が最近になって転がってきたものですから。」 「………そうだな。」 アリアドスはてっきり、ラグラージの性格からして、ここは驚きの一言が返ってくるものだと予測していたものだから、その不自然な対応に対する疑問が真っ先に沸いていた。 「ああ、ええと、ご存知でしたか。それはそうですよね。私より上部に居る時間の長い貴方ならば、それぐらいは知ってて……。」 「まて。」 一言、ラグラージが制止の声をかけると、前方にある枝に着地して、そのまま物音一つ立てずに木陰に隠れる。 「……前方……これは、崖下だな。」 「待ち伏せですか……。」 ネイティとアリエッタが境界線を通過したという知らせが届いているのであれば、この場に見張りの兵が付く事は無く、同時にそれが通っていなくとも、この近 辺の警戒に当っているのはラグラージの筈であり、中級ポケモンであるならまだしも、他の上層部の者が張っているという事態には決してならない筈なのであ る。 「評判は悪ぃが、これでも信用は取れているつもりだ。……まぁ今は空けちまっているが、にしても、あそこに誰かいるってのは何かある。」 何かが何を指すのか、アリアドスは先程から自覚していたものの、いざ事態に入ってみると緊張が高まってくる。 「やはり我々は、裏切り者なのでしょうか。自分にとって正しい事をする前に、森にとって正しい事をするべきであるのでしょうか。」 「どちらが悪いとか言う問題じゃねえさ。それ事態が乱れてやがるんだからな。ま、何とかなるだろ。」 楽天家を横に、思わず背の顔にも笑いが零れる。 災に見舞われる気持ちよりも、ふたたびの親友と行動を共にしているこの一時が、何よりも変え難い時間であると静かに思う、アリアドスであった。 |