ラグラージ敗退後、上層部に駆け付けたノクタスよる報告の後、急遽ここで網を張る事になってから実に二時間という時間が過ぎていた。
先程まで山影に隠れていた日の光は、斜めに見上げる程にまで上昇している。

――今のは。

報告の後ラグラージ本人から、たしか急な火災による戦線の離脱を報告する為の伝令が、上層部の方に回ってきていた筈である為、今彼はこの崖下から直進した所の火元たる位置にいて、既にその作業を終えている筈。
もし現在位置から上層部、またはこの元々の彼の持ち場であるこの場所に戻って来るのが道理ではある。
だが今前方にあった気配は、そのまま彼のそれだったような気がしなくもない。気のせいで無いとして、何故彼がここで帰還を躊躇する恐れがあるのか。

――相当に鈍いとは聞いていたが、まさか此方の気配に気付いていない訳でもあるまい。

現在、私が待機命令を下されているのは、何も彼の穴埋めという訳でもない。結果的にはそうなるのだが、彼に絡んでいた状況とは少し異なる。
信じ難い話ではあるが、かの有名な「三つ首」が、封印されていた森の奥底から蘇ってきたのだと言う。
封印対象であった大樹の根元付近に一番近かったのは、森の長であるダーテングであるが、その彼も行方を先程から、行方を眩ましているのだという報告が入った。
侵入者だけではなく、妙な問題まで絡んできたものだ。
そして面倒を吐き零すようにがっくりと下ろした首が、物音に反応して無意識にぴくりと揺れた。

「……ん?」

足音が響いてくる。
しかしこれは人間のものではなく、そしてだからと言って、我等がよく知っている森の住民のそれではない。
足音は段々と近づいており、視覚に入れぬうちに、自分にはその正体が明らかになってきていた。
それに自分は、その足音にはなんとなく、聞き覚えがあるような気がしていた。
平原へ遠征に出掛けた際、物凄いスピードで、しかもその上に何かを乗せたままその地を駆けていった四足の焔。

「…………。」

なんとなく、ここに居てはならないような気がしている。
近づく度に、それを前にすれば誰もが思う不安とやらに、自分が駆られているかのような、そんな気がしてくる。
自分の性格がそれなのだから、親近感を沸いても良い所なのだが、そんなものが出れば不思議なくらい、自分は焦っている。
真っ直ぐに直進する者が、脇や前にある障害を見ぬ事くらいの自覚はあって、いつも行動に当っているつもりなのだから。
そしてついに耐え切れなくなり、行動に出た。
穴を掘って、ひとまず何が来ても良いようにその穴を後ろ足で塞ぐ。
体が長いので、もしかしたら尻尾がはみ出ているんじゃないかという不安の中、なるべく深い穴を下に向かって掘り進む。
いつもは固い地盤を、今日は何故だか簡単に彫り進む事が出来る。
だが安心も束の間、それは唐突でないにせよ、此方の緊張を断ち切るように、やって来た後で、少し停止した。

「山も丘もねえのに崖とはな、おもしれえじゃねえか。野郎共っ!いつものヤツでいくぞ!」
「全馬踏み込み態勢!後方脚足に力点集中。とびはね用意っ!」

聞いた事がある。脚力を超越した高原の狩人は、たとえ山中に足を運ぼうと、その鍛え抜かれた筋力で垂直の崖ですら大した障害にはならないのだと。

『いやっはぁ!』

声の瞬間、地面が物凄い衝撃に襲われた。
なんせその真下にいたものだから、伝わってくる衝撃も半端なものではない。
もう少し土の固さと穴の深さが既定量に到達していなかったものならば、全身の骨が砕けていた事であろう。
そして地面の上に居たらしき者の声も聞こえなくなった後、ゆっくりと地面から這い出してそれを見て、愕然とした。

「……あ、あわわ。」

一帯に渡り、無数の蹄の後がそこに記されていた。
その数にして、ここを飛び越えた者の数が想定出来ないという程に、無茶苦茶な量の蹄がそこにあった。
結果、そこに居た筈の全てがこの場から消え失せているという事は、あの崖の上にある上層部の中心部に向かって、それらまるごとの勢いが集中するという事である。
そして今、統率である筈のダーテングは玉座から身を隠し、行方不明という状態にあり、この森の者達は不安に包まれている。
何か嫌な予感がしていた。
直接的に、あの者達に対してのものではなく、もっと知らずのうちに大きなものが、この森全体をドームのように包み込んでいるかのような。そんな予感が。



駆けていった集団を見て、思わず息を飲むネイティら三人。
外部で待機中の筈であった人間達とその足係の群れが、予想を上回る大群で真横を駆けて行ってしまったのだ。
集団は気のせいか人数が三倍以上に増えていたような風に見えていた上に、その大群は

「……おい。今あいつら何やったんだ。俺には一瞬、崖の上に向かって飛んだように見えた気がしたんだが。」
「え……ええと、なんと言いますか、その、そういう風に見えただけで、まさかそんな筈は。」

ネイティが加える。

「そんな事よりも、次でラストですよ。宜しいですかお二方。あのアリエッタさんを止めるには、恐らく三人の力を合わせる必要か、それら全ての力を超越する能力を手にする必要があるでしょう。」

全く知らん顔という風な口調で説明を続けるネイティ。
アリエッタがどのような人間であったのかは三方ともハッキリとは知らないし、その全貌も詳しくは判っていない筈なのだが、ネイティ曰く、今目の前を通り過ぎた出来事など、大した事ではないのだと言う所であろうか。

「……まぁそうか。見上げてたって仕方ねえし、なんとかなるように、少しでも俺達の潜在意識を高めてやらねえとな。」
「そ、そうですね。でもあの、これだけは知っておきたいのですが、アリエッタさんはあの崖を登る際に、スタミナ切れのような事態には陥らなかったのでしょうか。」
「ありゃ相当な実力の持ち主……だとは思うが、それだけじゃ解決しきれねえ事は山程あるな。どうするよ、いきなり口から火やら吹かれたら。」

ラグラージも思い付きの冗談だったのだが、何故だかそういった空気にはならない一同。
何が出てくるのか予想がつかないというのが正直な感想であったが、そうは言っても、何か情報くらいは欲しいものであると、一同が思ったその時である。
ラグラージが今よりかかっている木の上の枝付近から、誰かが此方を覗いているような気配を察したネイティは、その方向に向かって、軽く威嚇するような形で、念力で木を揺さぶった。
だが思いのほか木は強く揺れ、その衝撃で、ラグラージの頭にその者が落ちる羽目となった。
そして当然、ラグラージの頭にそれが直撃した。

「ぐわっ!」
「うわっ!な、なんですかいきなりっ。」

それ程跳ね返らずに、ラグラージの前方に着地したそれは、まん丸な形に、帽子のようなものを被ったような格好をしていた。
種のような形からして、まだ子供であろうか。

「何用?」

と、聞いたのはネイティ。するとその者は特に逃げる事も無く、ただ事態が上手く飲み込めないと言わんばかりにぼうっとしている。
ラグラージは衝撃によって倒れている。不意打ちで無かったにせよ、先程崖下で戦った時とは比べ者にならない程の鈍さに、少し呆れるネイティ。

「ちょ……ちょっとお昼寝してただけだもん。いきなり起こされて、迷惑しているのはこっちのほうだよ。」
「君は目を開けたまま昼寝をするのが趣味なのかな。心拍はそれ程高くは無かったけれど、寝ているようには見えなかったな。」
「なにさ。超能力使いなら超能力使いらしく、もう少し優しく下ろしてよね。頭が悪くなったらどうしてくれ……。」
「うるせぇこの餓鬼はー!よくも頭の上に落ちてきやがったなー!馬鹿になったらどうするんだー!」
「うわー!」
「うわぁっ!」

何故かアリアドスも驚く。
依然冷静さを乱さないネイティが一目見ると、活を入れられたようにラグラージが押し黙る。

「う……ええと、で、なんだお前は。俺達をこそこそ隠れて見てやがったんなら、これはもう刺客だか何だかだと思うしかねえわな。違うか、そうだろ。」
「ち、違うに決まってるだろ。大体、上層部は君達に構っていられる程暇じゃないんだ。三つ首が中央大樹から目覚めた結果、内部は混乱しきっていて、その包囲に徹している間は君達の事なんか……。」

得意げにべらべらと話すが、それは最早自白の域を超え、ネイティにしてみれば、利用価値を考えさせるには丁度良い時間であった。
それに種のような形の者が気付いた時にはもう遅く、顔の両側をラグラージに掴まれた状態で行動を封じられ、要するに、捕まった。


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