ラグラージの背中に乗っかる形で留まっているそれは、三者が張り巡らせている鋭敏な感覚を無意識に感じ取り、身震いする。 三者の目的はアリエッタの発見、及び交渉にあり、なのにこんな所で、しかも入口とは真逆の森を眺めているというのはどういう事か。 「なんだよお前等。上層の要に辿り着いたってのに、こんな所で突っ立ったりして。」 「……そうだな。おいネイティ、お前だけでも先に進んだらどうだ。」 言われても、無言のまま森の奥を見つめるネイティ。 ロックの真下にいる何かは、そのふらついた経路を辿るようにして此方に向かってきている。 それは、その何かが此方に向かって来ているという事に繋がるが、それならばこの中に逃げ込む手立ても勿論考えられる。 「……どうかな。この中が安全とも言いきれないからね。」 「やばくなったらその、念力移動でも使えばいいんじゃねえのか?」 「……前で騒いでる奴も、唐突に現れたような気配があった。封印でもされたら、さすがに脱出が間に合わない。」 「じゃあまさかお前、このままここで嬢ちゃんを待つってのか。」 考えられない手ではない。 もし入口がここだけであれば、アリエッタが事を済ませて帰ってきた所を、呼び止めるなり捕まえるなりすれば良いだけの話である。 捕まるべく場所に捕まって、人質のような立場になってしまう事を未然に防ぐには時間がかかりすぎている。 なにしろアリエッタは中央に向かって足を進めていたのだ。目的のポケモンに会うというよりかは、敵陣のど真ん中に用があるとしか思えない。 「あのお嬢さんが、危険な目に会うとは到底思えません。現時点で危うい状況にあるのはどちらかと言うと。」 アリアドスは少し俯いたような表情になり、言う。 「我々の方では。」 森に住む者には、相応の「雰囲気」や「空気」と言うのか、その場所に住んでいたのだというオーラが、気配から発されているものであるが、目の前を無作為に駆け回るそれからは、明らかに異質なものが漂っている事を、森の出身である三者は感覚で理解していた。 ラグラージの背に乗っている者には、そういった器官が備わっていないものの、何かこの世ならざぬ恐ろしいものが目の前から接近している事が、何か、判っていた。 そうでなくとも、目の前の森からは先程から、木を薙ぎ倒したり何かの衝撃をぶつけたりする音が所狭しと広がっているのだ。 「お前等、なんでまず最初に逃げるって事を考えないんだよ。」 「阿呆か、お前もさっき見てただろうが。あういうのは練習だけじゃなくてな、実戦を踏まえた上で力が完成するもんなんだよ。」 ラグラージは、長年仕えていた主人や、この森の中にいるうちに学んだ事はそれなりに多いものだと感じていたのだが、やはり自分はまだまだ未熟者であると、どこかの武士が苦い経験から何かを学んだような気持ちになっていた。 対してアリアドスは、自分に対しての自信が少し欠けており、隊の統率を任されるようになった自分や、上に対していよいよ反発してしまった自分に対して、ど こか失望したような思いになっていたのだが、それがいともあっさりと、新たな可能性の発見と共に吹っ切れてしまっていた。 「私は……もう逃げたくはありません。しかし無謀なまま、従うままになる事も望みません。ただ、私自身の可能性を試してみたいのです。」 「……ちっ、なんて奴等だよ。お前等裏切り者で、森中から疎まれてんだぞ。それでなんで、そんなに自信たっぷりなんだよ。ちょっとおかしいぜ。」 呟き気味になりながらも、小さな者は何かを考えるようにして俯いてしまった。そういえばこの者はどうして、自分達の前に唐突に現れる事になったのか。三者の中でのその疑問だけは、ネイティが知れずに留めている。 「ネイティ、難しい事は俺にはよく判らんからな。お前に任せる。」 「我々は、ここに残って対処に当るつもりです。細かな指示は、貴方にお願いします。」 「そうね……ふむ。」 ロックを乗せたヨルノズクは、もう間近に迫っている。 同時に段々と、切り倒し薙ぎ倒し、進む音が響いてくる。 ・ ある学者がいた。 人間の姿を象るが故に、ポケモンの深い真理まで辿り着く事が出来ないと判断したその者は、数年前、共に森の中を歩んでいた助手とそのパートナーのポケモンを残し、姿を消したと言われている。 中央部玉座付近。 倒れている者は複数。立ち上がっている影が、二つ。 「やりおるわ。未完成とはいえ、貴様のような者を人間と呼んだ私の方がどうかしていたようだな。」 「教授〜。それ結構ショックなんだから、あんまり言わないでくれる?」 立ち上がった影は再び歩みを進め、勢いのままにぶつかり合う。 会話の雰囲気とは裏腹に、回りにはうめき声を上げる犠牲者の群れが広がっており、戦っている両者は共にボロボロの状態にある。 組み手のようなものではなく、殴り合いである。ただしどちらの拳も決して致命傷を狙う事なく交わされており、それはわざとそうしている訳ではなく、ただ単に見切られて当らないのである。 「昔話はこの辺にして、そろそろ本題に入ったらどうだ。」 「さっきから聞いてるじゃない……のっ!」 空を切る音が一閃、教授と呼ばれた者の頬をかすめる。すかさずその手を掴もうと手をかけるが、高速の引き手に間に合わず、そこからまた拳が飛んでくるが、それは頬をかすめる事なく、傾けた体によっていとも簡単に避けられる。 両者再び下がり、見据えたまま直立不動。 会話と格闘が繰り返され、外の通路からこれを見て駆けつけた者が加勢に入るが、その度に不意打ちをくらって倒れていく。 手が付けられない状況である。 「人化の秘宝。なんであんたが持ってるのよ。」 「ほほう、キキバナは良いのか。あれは君に捨てられたと思いこんでいるようだからな。もしかしたら「出る」かもしれんぞ。」 「そこで会ったけど、これと言って問題は無い感じね。なんか、いい感じのも連れてるみたいだったし。」 「ヘッグか。あれはなかなか優秀な素材でな。なかなか役に立っているよ。」 「それよりも、人化の秘宝よ。なんであんたが持つ必要があるの。好き好んで人間を止めた、ヘンクツの貴方が。」 ・ 同時刻、ようやく目を覚ましたヘッグは、目の前の光景に目を疑った。 中央部入口の目の前で倒れていたヘッグの目の前には、今正に決断を迫られているネイティ一行が彼に背を向けており、裏切り者の姿形は彼も上の者から聞いて把握している情報であった。 そしてアリエッタと名乗るあの女にキキバナが連れていかれてしまった事を、理解はしていなかったものの、なんとなく状況を見る限りで把握していた。 「……キキちゃん。」 あのアリエッタという女性に対して、ヘッグは確かに好意的な印象を持ってはいたが、それはあの女性が、どことなくキキバナと雰囲気が似ているような気がしていたからこその感情であった。 首の後ろがヒリヒリしている。キキバナが急所に近い箇所をどつく癖には慣れていたが、そのキキバナの一撃と、アリエッタという女性が喰らわしたであろう首筋への痛みは、どことなく似ているような気がしていた。 あの者は、自分よりキキバナの事を知っているようであった。 あの者にもし、キキバナが連れていかれてしまったら、自分はどうすればいいのだろうか。 二人にして特例で上がった昇進の下落が怖いのではない。ただ、共にいられない事こそが怖かった。 「……あの人さえ、いなければ。」 思ってはいなくとも、何故かそう発していた。何かに突き動かされるようにして、その感情が広まっていく。 声が、聞こえてくる。 ――誰かを憎んだ事はあるか。お前は今、誰かを憎んでいるのか。 「僕は……あの人を憎んでいるのかな。」 ――誰かを憎んでいるのであろう。 「憎んでいるよ……うん、すごく、嫌だ。これは間違っても、安心感なんかじゃないよ。」 ――憎んで、その為に今、お前はあるのだろう。 「キキちゃんが僕に必要だから、憎んでいるんだ。つまり、そういう事になるんだね。」 ――憎しみがお前を生かしている。その事実、受け入れるのか。 「僕一つじゃ、何も出来ない事を認めるのさ。だからそう、その感情は、受け入れる必要がある。」 ――新たな現実の始まりだ。今迄の貴様は死に、憎しみで息を吹き返す。 「僕はこれから、自分の力で生きていけるだろうか。」 ――貴様の憎しみが、貴様を生かすのならばな。 「そうかい。」 ・ 妙な気配、というものは、鋭敏な感覚というものが無くとも感じられるものなのだと、小さな者はここで改めて実感する。 背後に妙な感じがあった。ただそれだけで、身の毛もよだつ程に全身が震えてきた。 三者は前方の感覚に手一杯であるせいか、背後からの気配に気付いていないようだ。 今動けるのは、自分しかないが、無論それは、今それから逃げる事が出来るのは自分だけという事になる。 見捨てて逃げ去るのは随分と簡単な事なのであるのだなと、今正にこの場で、小さな者は初めてその事に気付く事になったのである。 「ぐっ……うおおおおっ!」 飛び出した矢先、三者が同時に振り返った。 小さなその身を貫いた爪と、貫かれた小さな者のとき放たれたような顔を、三者は同時に見る事になった。 そしてそのまま小さな者は、その身が発したやけに大きな音で、その場に転げ落ちた。 |