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「すまんが、あっしの案内はここまでですわ。兄さんたちホントにこの先に向かいますんで?」

ゴルドバ山の登山道への案内を依頼されていた初老の男性は怪訝そうな表情を浮かべながらエアたちに訊いた。

「ええ、そのつもりよ。案内ありがと」

ゴルドバの街に到着してから三日が経っていた。シェイドの腕のヘルガーによる噛み傷はすっかり塞がっていた。
その三日間は幸いにもラコンの新たな襲撃は起きなかったが、必要な品を買い求める際の街中の様子では、人々は明らかにラコンに対して恐怖と嫌悪を覚えていることが見て取れた。そのたびにエアは心苦しい思いに囚われるだが、今はただ耐えるしかなかった。
アリアが街の住民から情報を得たことに寄れば、例のゴルドバ山に眠る遺跡は山の峠を越えた向こう側にあるとのことだった。一ヶ月ほど前に登山者がちょうど その頃に起こった噴火から命からがら逃げ延びると、偶然噴火に伴う地震で山崩れが起こった場所にその遺跡が現れたとのことだった。だが、その登山者以降は その遺跡を見たものは居ない。その頃からラコンによる事件が急増し、ゴルドバ山を登るものが全く居なくなってしまったからである。
元々ゴルドバ 山に住むラコンは存在事態は知られていたが、街の住民にはもちろん登山者にさえ、これまで滅多に姿を見せたことはなかったそうだ。たとえ偶然姿を見せたと しても、ラコンはそれで人間を襲うこともなければ近づこうとさえしなかった。街の子ども達はそうやって滅多に姿を見せないラコンを目撃することによって周 りに自慢できるほどであったという。
それが一ヶ月前の噴火以降、ルアの言葉を借りるとすれば「秩序の崩壊」が起こってしまったのであった。
ゴルドバ山に植物といったものは、麓あたりに林が広がっている以外は、ほとんど乾燥した草ほどしか生えていなかった。高さは麓からだと二千五百フィート前後(およそ七百五十メートル強)だと見て取れた。

案内者の男性はアリアから返事を受け取ると、まるで今すぐにでもラコンが自分のことを襲ってくると思いこんでいるかのように、そそくさと逃げるように街の方へと下山して行った。
そして四人は奥地にあるという遺跡を目指して、登山道を進み始めた。

「シェイド、たぶんこの先には私たち以外に人間は居ないだろうし、それもう脱いでもいいんじゃない?」

案内者の男が完全に見えなくなったころ、アリアがシェイドに向かって言った。シェイドもまた、後ろを振り返り本当に誰も居ないことを確認すると今まで自身 を厚く覆っていたローブを脱いだ。宿などの誰かに見られる恐れの無い場所以外で、彼が外気に姿を晒したのは列車内での騒動以来であった。

「それにしても、エアは本当に付いてきて良かったんですね?」

歩き始めて半時ほど経ったころ、ルアがおもむろに話しかけてきた。

「大丈夫だよ。言いたいことは分かってるから」
「そうですか。やはり出来ればこれの出番が来ることがなければいいのですが……」

ルアは持っている鞄の底の辺りをポンと叩いた。
何があるのか見せることは無かったが、あまり良いものが入っているとは思いがたい。
この先では凶暴化したラコンがいくら襲い掛かってくるか分からない。場合によって防衛の際に相手となるラコンを図らずともその命を奪ってしまう、そんなこともあるかもしれない。そういうことが言いたかったのだろうとエアは思った。
出来れば何事もなくこの道のりは終わらせたいものである。

「あれ、ルア? そういえばクレたんは?」

これから先出てくるであろうラコンへの心配よりも、この先にある遺跡がどのようなものであるのか期待する気持ちの方がはるかに先行しているアリアの甲高い声がルアに向けられた。
『クレたん』とはゴルドバに到着した翌日、アリアが呼び始めた呼称である。『だってその方がかわいいじゃない』というのが彼女の言い分である。ルアの方も 反対するどころか『そういうのもおもしろいかもしれませんね』と笑って認めたのであった。当の本人(本鳥?)のクレフはというと、全く興味が無いらしく、 というよりもアリア自身に対して全く関心が無いようで、彼女が呼んでもほとんど反応を示さないのであった。

「クレフならこの先にラコンがいないか、斥候に出てもらってます。いわば偵察ですね」
「大丈夫かな? もし見つかって襲われたりしないかしら?」
「大丈夫ですよ。彼は賢いですから、身の危険や異変を感じればすぐ戻ってくるはずです。」

しばらくすると一行は切り立った低い崖に挟まれた細い道にさしかかった。崖と崖の間の幅はおよそ二十ヤード(≒十八メートル)ほどでどうやらずっと昔はここには河が走っていたらしく、大小の小石が敷き詰めてあるようにずっと続いていた。
ちょうどいい塩梅だったので登山道として利用したのだろう。ただし、足場が少々悪いのが難ではあるが。
だが、すぐにそうも言っていられないような事態が訪れる。

「あ、クレフが戻ってきた」

エアが影の間から見える空を指した。斥候として出していたクレフがくるくると時計回りに旋回していた。ルアが厳しい面持ちでその様子をにらむ。
するとクレフはいきなり翼をいっぱいに開くとまっすぐに一行の方へと、落下するように降りていった。ほとんど地面に接触する直前にまるで空気のクッションに乗ったように、ふわりと逆放物線を描き、ルアの肩にとまった。

「やはり、何事もなくすませるには虫が良すぎますね」

一行の進む方向には二匹の獣が立ちふさがっていた。二匹とも犬に良く似た姿をしているが、一方は全身をふさふさした赤い毛で覆われており、背中や両足に黒 い線が入っている。もう一方は同じくふさふさした赤い体毛に覆われているが、もう一方の者に比べて一、二まわり大きく、尖った大きな耳を持っている。二匹 のラコンはそれぞれガーディとブースターと呼ばれるものだった。
二匹の獣の目はエアが森で会ったエアームド、そして列車内で遭遇したヘルガーとギャロップとやはり全く同じものだった。狂気がうかび、もはや心を失った状態。
シェイドが一歩前に出て身構える。

「シェイドが下がっててって」

アリアがシェイドの言葉を代弁した。

「待ってください」

そのときルアがシェイドの更に前に歩み出でた。そしてそのときルアが右手に持っているものをエアは目にする。

「ルア、それは?」

ルアはそれをおもむろに、口を前方にいる二匹の獣の方へ向ける。
そして。
列車内で死んだ男が持っていたものとほとんど同じような、耳を突き抜けるような鋭い爆発音が木霊した。
刹那、獣が立っているほんの一歩前ほどの地面がまるで水に何か重いものを落としたように弾ける。
音とともに起きた突然の出来事に二匹は恐れおののき、くるりと背を向けると一目散に走り去っていった。
沈黙が流れる。今この場でルアに目をやっていないものは本人を除くとその左肩に止まっているクレフだけであった。

「拳銃。そんなのどこで?」

アリアが驚きと、一種の恐れを抱いて訊いた。

「少し前にある商人から買い取ったものです。驚かせてすみません」

そしてルアは持っている拳銃から弾を抜き取ると、再び鞄の中へと入れた。

「当てなければ威嚇には使えるかと思いましてね。なるべく戦うのは避けたいので。しかし相手がこれに動じないような強い者だと逆上させてしまうことになるかもしれませんが」
「確かにそのほうがいいわね。でも、やっぱり銃声ってなんだか嫌だなぁ」
「持っている私が言うのも難ですが、私としてもあまり好きにはなれませんね」

エアはすぐに分かった。ルアが使ったのがあの列車内で死んだ男が使ったものとほとんど同じものなのだと。エアはその銃という武器をルアが持っていたことに 少なからずショックを受けたが、同時に別の思いが脳裏に浮かんでいく。この旅の中ではラコンを死なせてしまう、少なくとも傷つけてしまうことになると自分 は覚悟をしたはずではないかと。それに今ルアはその銃を傷つける目的ではなく、戦闘を避ける目的として使用した。無駄に折衝をする目的ではないと。彼はそ う己自身に言い聞かせた。
四人はさらに奥地へと進んでいく。奥へと進んでいくと樹木が生えている場所も見受けられたが、やはり火山という条件のせいなのか、林の呼ぶにも数が少なく、いくらかの木々がまとまって生えている、という程度の印象しかない。
エアが住んでいる森と比べるまでもなく少ないが、こういった場所ではラコンはどんな暮らしをしているのだろうかとエアはいくらか興味を抱いた。
また更に進んでいくと空気にかすかに硫黄の独特の匂いが混じり始めた。自分たちは火山を登り進んでいるのだと改めて気づかされる。

やがて彼らは高さ七百フィート(二百メートル強)はあるであろう深い谷に沿った道に差し掛かった。
そして、そこには彼らを待ち構える更なるラコンがいるのであった。


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